こうなりゃ多言語話者にでもなるか

話せる言葉の種類が増えれば俺にも友達できるかも

翻訳アプリの進化と、外国語学習の価値

ヘイヘイ、今日も外国語やってる皆さんお疲れ様です。

最近凄いですね翻訳アプリ。結構前から凄かったけど。

自分は技術の進歩とか最新のテクノロジーとか大好きなので、そういう意味では翻訳アプリの進歩も純粋に楽しいし、楽しみ。

だけど一方で、外国語学習者の立場からすると「これ以上翻訳アプリに進歩されたら、今まで俺が外国語学習のために費やしてきた時間は…?」的な気分にもなる。

いや、なってた。以前は。

でも最近は、翻訳アプリが進歩しても自分の外国語学習が無駄にはならないって考えてる。

その理由を書きます。今から。

 

 

大きな理由(1/3):翻訳アプリがどんなに進歩しても「テンポ」の問題は解決できない

この理由は文章でのやり取りじゃなくて、会話に限定されるものだけど…

会話を構成する要素には発言内容や声色や、いろんなものがあるけど、自分は会話の「テンポ」ってのがかなり重要な要素だと考えてる。

「テンポ」ってのは、会話において発生する時間的なラグ。たとえば発言と発言の間、こちらの発言を相手が理解するまでの間、とか。

 

このテンポがスムーズじゃないと、会話におけるストレスってかなり大きくなる。個人的には。

 

ビジネスの場だと発言内容さえ正確に理解し合えればそれでいいかもしれないけど、友人同士の雑談みたいな場だとテンポが合う合わないは結構重要になる。個人的には。

 

で、翻訳アプリがどんなに進歩しても、翻訳アプリを利用することによってこのテンポがぎこちなくなるって点は解決できないと思ってる。

例え翻訳が0.0001sで行えるようになったとしても、翻訳された言葉を聞き手が理解するまでの時間は翻訳アプリにはどうしようもないしね。

まー脳に電極を埋め込んで瞬時に意思疎通できるようになったらこの問題も解決するだろうけど…もしそこまで技術が発展したら外国語学習以外のこれまでの色んな学習が意味を持たなくなるだろうから考えても仕方ない(?)

 

こういう理由から、翻訳アプリが進歩しても、自分のような「外国語を使って友達を増やしたい」ってモチベーションで勉強してる人間にとっては外国語学習の意味はあんまり損なわれないと思う。

 

 

(まずい…思ったより長文になって既に続き書くのがめんどくさい…)

 

大きな理由(2/3):外国語を勉強することで、その言葉を話す人の価値観に触れられる

これはそのまま。

外国語って、勉強するとその言葉を話す人の価値観に触れられるから、単純に「その言葉を理解できるようになる」以上に得るものがあるよ。っていうね。

 

大きな理由(3/3):内輪の文脈を反映した翻訳はできない

これはですね、いつか翻訳アプリが進化して、その国の文化や最近の流行なんかを踏まえた意訳すらできるようになる日が来たとしても、例えば友達同士の関係性や狭い範囲の内輪ネタを踏まえた意訳はできるようにはならないんじゃないか、って話です。

だから外国語を勉強して、そういう深い文脈を踏まえた会話ができるようになれると意味があるね。という。

 

理由…?:ある日突然翻訳アプリ使えなくなったらどうすんの?

えーこれは…真面目な話じゃなくて…

もし地球上のみんなが翻訳アプリ使うようになって、そのせいで誰も外国語を話せないような世界になったとして。

ある日突然何らかの理由で翻訳アプリ使えなくなったらどうすんの?って話。

そしたらそこから突然みんな意思疎通できなくなるじゃん。

未来版バベルの塔みたいになるじゃん。

だから外国語勉強しとこうぜ…という…

…なんかすみませんね

 

 

これくらいかなー

表現を変えると、ビジネスにおいて、文章でのみ外国語を使用する場合なんかは、翻訳アプリ使えばいいじゃんって個人的には思ってます

 

… 

 

よし、まったく息切れせずに書けました。

 

何が言いたいかって言うと、「自分が何で外国語を勉強しているかってのを思い出して、翻訳アプリには満たせない意味をそこに見出せるかを考えるの大事だよ」ってことです。

 

つまりみんな今後もどしどし外国語やりましょう、ってことです。

 

 

 

おわり。